オリンピックが始まった東京から夜行バスで逃亡。うつらうつらしている内に盛岡に着いてしまうのだから有難いものだ。予約しておいたタクシーに乗り込み滝ノ上温泉へ向かう。例年ならば梅雨末期の大雨を警戒する時期なのだけれど、幸い今年の北東北は既に梅雨明けしている。前線のご機嫌を伺わなくて良いわけだが、湿度が高いところに真夏の陽射しが照りつけ、湧き上がる雲が気にかかる天候。
タクシーは快調に走り、予想より30分以上早く滝ノ上温泉に着くことができた。駐車場には既に車が数台停まっており、沢仕度をしているパーティも。リーダーらしき男性は某アウトドアブランドのシースルーTシャツ姿で、山ちゃん以外にもこの格好の人いるんだ…と妙に感じ入ってしまった。当の山ちゃんは過去に2回雨で入渓を断念しているのだが、今回は「2度あることは…」ではなく「3度目の正直」の方で行けそうで、まずは何より。
軽い身支度とトイレを済ませて、葛根田川沿いの車道を歩き出す。天候も水量も申し分無し、幸先の良いスタート。
しばらくすると現れる地熱発電所の設備群を眺めながら歩いてゆく。運転開始は昭和53年5月だそうで、私と全く同い年である。
やがて舗装は途切れて山道となる。明通沢(秋取沢)方面へカーブを切ってゆく道と別れて、明瞭な踏み跡を葛根田川本流へ。
森の中の流れは広々していて明るい。水量がないので楽に歩ける。
前方に、陽射しを受けて輝くスラブらしきものが。
思わず歓声があがる。壁も沢床も明るい色の岩で、清らかな水面を透かして陽光が溪全体を輝かせていた。
岩魚が2匹、目の前を走った。魚野川でもそうだったが、岩の色が明るい沢に棲む魚は体の色も明るく美しいようだ。
しばらく進むと明通沢を右に分ける。葛根田川を遡行しこの支沢を下降して滝ノ上温泉に帰るのが最短のルートなのだが、例によって「ド素人には無理」なので我々は登山道で下山するつもり。
右前方に滑滝が見えてきた。
岩の表面に繊細なレース模様を浮かび上がらせながら流れ下る滑滝に目を奪われる。これが大ベコ沢との出合で、暫し休憩。
次に出合った小さな支沢が、この川の白眉である「お函」が近いことを知らせてくれた。
名にし負う美景を、いざ。
いつも苦しい沢登りばかり(※非力な私にとって)だから時にはこんな極楽な沢の機会を与えてもらっても良いってことかしら、などと呆けている内にハイライトは終了。
エスケープルートに設定していた大石沢の出合を通過。
滑床が美しそうな大石沢。経由して目指す乳頭温泉も非常に魅力的で後ろ髪をひかれるが、今のところ天候に問題が無いので本流を進む。
柔らかな性質の岩が水流に穿たれて出来た曲線の妙。河床が鯨の背中のように盛り上がったところを、子供が平均台で遊ぶように伝い歩いてみたり。
美しい滑床の向こうにまた支沢が。
沼ノ沢出合を過ぎると程なく中ノ又沢出合。今朝がた駐車場から先行して行った4人パーティと再会。ここの幕場は非常に良いと教えてもらったが、まだ時間が早いので一本取ってから先に進む。
3段25m滝で掛かる支沢を東に分けたところで地形図を見ると、我々が遡行している沢の呼び名がいつの間にか葛根田川から北ノ又沢に変わっている。どの地点を境になのかは判然としない。暫くすると滝の轟音が聴こえてきた。
葛根田大滝は登れないので前衛の小滝の手前から巻道をゆくのだが、まだ先行パーティがいるのでザックを下ろして、大滝の近くまで見物に行く。
竿を出したい場面だが、滝の音にも掻き消されないほどの雷鳴が轟き始めたので断念。
まだお昼過ぎで本来なら滝ノ又沢出合まで行って幕にしたいところだが、スペースが空いているか分からないし、雷の音は強くなる一方。この先で適所があったら張ることに決めて先を急ぐ。
標高820mくらいの地点で山ちゃんが絶好の場所を見付けてくれた。出合と出合のほぼ中間地点にあたり半端だからか幕場として使われた様子は無いが、高台の快適な草地で整地なしでツェルトを張れた。
降り出した雨は強まり、雷は頭上で爆ぜるような音を響かせ始めた。まだ13時半だし、その内に降り止むだろうと足だけ外に出してツェルトに寝転がる。と、いつの間にか寝入ってしまったようだ。
話し声に目を覚まし、換気穴から外を覗いてみてビックリ。30分ほどウトウトしていた間に、清らかだった流れが硫黄の温泉のごとく白濁しているではないか。澄んだ水を確保し損ねたと思い焦る。近くに支沢が無いので、G藤さんとちーちゃんが沢を少し下って水を取りに行くと言ってくれた。
川を見ると、白かった水が茶色に変わり、水嵩が目に見えて増してきている。徒渉が出来なくなる可能性に気付いた山ちゃんが、沢を下り始めていた2人を慌てて呼び戻す。川の状況はあっという間に変化するのでアンテナを張っていないと危険なのだと、つくづく実感した。問題の水については、幕場の斜後ろに支沢とまで呼べぬほどの小さな流れを見つけ、少々濁りはあるものの確保できた。
雨が止まず焚火をするか迷ったが、時間も早いので薪集めを始める。ミズナラの倒木を鋸で切ってそこそこの量を集められたが、倒れているだけで枯れていない生木なのと、降雨の中なので火付けの難易度が高い。ここは山ちゃんにお願いするより他ない。
幸い雨は夕方には上がった。釣りをし損なったのは残念だが、酒もツマミも沢山あるのでまぁ良し。
朝になると川の水は元の淡い緑色に戻っていた。山ちゃんが早速釣りの用意をして、次の瞬間。
3匹まであっという間。4匹目は、流石に釣り人の多い川だけあって山ちゃんでも少々手こずったそう。くすんだ金色に白の水玉模様、鰭は黄色の美しい岩魚だった。朝なので、お味噌汁でいただいた。
焚火の始末を済ませて出発。女子2人は虫刺されが腫れ上がって痛々しい姿になってしまったが睡眠、栄養とも足り元気は充分。30分弱で滝ノ又沢出合。左岸の幕場にはまだツェルトが張られていた。更に15分ほど進むと北ノ又沢右股と左股の出合。
6m滝を掛ける左股に比べ、大白森に源を発する右股の方が開けていて進み易そうだけれど、今夜は八瀬森山荘に泊まるつもりなので左股へ入る。
初ッ端の滝場を過ぎると穏やかな渓相が続くようになる。オオルリ、ミソサザイ、クロジの歌が響く森の中の小川をのんびりと歩いていると眠くなってしまうほど。
少々退屈してきた頃、北ノ又沢左股の右沢と左沢の出合が見えてきた。
八瀬森山荘がある大場谷地の湿原へは右左どちらからでも行ける。我々は今回、山荘へダイレクトかつ一番なだらかにアプローチできそうな右沢のルートを選んだ。どれだけ藪を漕ぐ羽目になるかは行ってみてのお楽しみ。
右沢に入ると沢幅は更に狭まるが、青灰色の滑床が続いて中々に美しい。
やがて前方に青空が見えてきて、このまま穏やかにゴールできそうな印象を受けるも、
突如立ちはだかる20m滝。
これは左に明瞭な巻き道がある。休憩し腹拵えをしてから巻きにかかる。
20m滝を過ぎて少しすると8m滝。
我々の直ぐ後に現れた5人パーティは、水流すぐ左を直登しようか迷ったのち、滝の左側の笹に覆われた急斜面を少々苦労しながら巻いて行った。山ちゃんが選んだのは滝の右壁を行くルート。
クラックは簡単そうに見えたけど、ホールドにしようと岩を掴むとボロっと取れてしまう。砂が固まったような脆い岩質。山ちゃんがフィックスしてくれたロープに登行器を付けて後続が登り始めるも、クラックの後の草付はザリザリズルズルの急斜面で足が滑ってしまって、登行器を使い慣れていないちーちゃんは泣きが入っていた。山ちゃんは何故登れるのかなぁ…。我々がモタついている間に若者2人パーティも左を巻いて行ったが、ロープを出していた。
遡行図にある最後の滝に思いの外苦労させられた格好だが、それでもまだ11時なので焦燥感はない。後は詰めで藪漕ぎに時間を取られずに済めば万々歳。しかし地形図ではどこが藪なのやら分からないから私が選んだルートがどうなのかは賭けである。幾つか続く小さな二股で間違えないよう確認しながら予定のルートを忠実に詰めて行くと、藪漕ぎ無しのドンピシャで湿原に出た。
キンコウカやサワランが咲き乱れる典型的な湿原の植生を踏みしだくのは気が引けるが、かと言って木道も無いので致し方なし。それにしても何という爽快な気分だろうか!針広混交林とのコントラストが鮮やかな草原は風にそよぎ、足下にはキスゲ、コバギボウシ、ウラジロヨウラクやクルマユリなどが彩を添えている。小屋へ向かう道筋を一時見失って湿原を彷徨ったのもまた乙なものだった。
八瀬森山荘は湿原の向こうの森の中に佇んでいた。お昼ちょっと過ぎに到着したのだが、既に2組の沢屋が1階を陣取って寛いでいた。
濡れ物と共に2階に上がりたくなかったので小屋の外にロープを張ってみんな干してしまい、乾いた服に着替えてスッキリしたものの、前日同様に降り出した雨がこの日は夜まで止まず。まぁ、仕方ない。ワァワァ騒ぎながら夕食と一緒に酒もみんな飲んでしまって、早々に寝袋に潜り込む。屋根を叩く雨音は一体いつ鳴り止むのだろう、なんて思いながら眠りに落ちていった。
4時を過ぎるともう空が白んでくる。昨夜日が暮れてからやって来た縦走の2人組が、サッと仕度を済ませて出発して行った。我々も早寝しているので目覚めも早く、朝食を済ませて6時ちょっと過ぎには歩き始めた。
明通沢を下降するという若者2人パーティは沢靴で出発。一方の我々は登山道で松川温泉へ下山するつもりなのでアプローチシューズに履き替え、朝露が輝く湿原にうっすらと付けられた道を辿り始めて直ぐに靴を履き替えたことを後悔する。関東周辺ならば当然の如く木道が敷かれているであろう場面に木道が皆無なのである。
泥濘に膝下まで何度か潜るともう諦めの境地に達してしまった。即ち「道があるだけマシ」である。諦めてしまえば景色も愉しめるというもの。
大深岳手前の分岐を過ぎると突然、道が良くなった。ここまではほぼ沢屋しかいなかったのだが、歩き易い登山道は縦走やデイハイクの人達で賑わっていた。
爽快な眺めを楽しみながら緩やかに源太ヶ岳まで登ると、あとは松川温泉に向かって降りるのみ。滝ノ上温泉と同様の地熱地帯で、遠く山の上からでも白い湯気が勢い良く噴き出しているのが見える。最早頭の中は温泉→ビール→焼肉→冷麺、だけ。
松川温泉のバス停で時刻表を確かめたら、駐車場のトイレで温泉旅館に足を踏み入れられる格好に着替えて一先ず小ざっぱり。バス停の向かいの「峡雲荘」さんで日帰り入浴をさせていただく。秘湯を守る会の提灯が掲げられていたけど、敷居は高くなく優しく迎え入れていただき、価格も良心的。白濁の硫黄泉の掛け流しで、広い露天風呂と熱い内湯で大満足!沢の後なのであちこち傷だらけなのだけれど、ここの硫黄泉はキツ過ぎず柔らかに疲れた身体を包んでくれた。
盛岡駅へ向かうバスの中で焼肉と冷麺の店を血眼で選定。駅近くの「盛楼閣」に着いたのが丁度17時頃。山行を振り返りながら生ビールと焼肉が進む進む!
山ちゃん、G藤さん、ちーちゃん、2泊3日の沢旅が素晴らしいものになったのは皆さんのお力とお人柄のおかげです。本当にありがとうございました!
それにしても東北の沢は良い。秋も行こう。
ブルメちゃん2021年8月7日 09:55 /
やっぱり葛根田は良いところですね。