〜https://alpenblume.club/?p=28007 から続く〜
いま何時?…12時10分です。…結構遅いんだよ。…(ウッ…頑張ったのになぁ…)そうなんですね。…衝立ノ頭まで行かずに降りることになると思う。…ハイ。
…という会話を大師匠と交わしたのが、エミコリンが5ピッチ目を登り始める前だったか後だったか、もう憶えていない。
<5ピッチ目 25m エミコリンリード> 彼女はサクサクと登っていき、姿が見えなくなった。フォローで登ってみると、ピッチ終盤でルートが右に向きを変えた途端にジメジメと濡れた泥ルンゼとなり、終了点の直下は傾斜もきつくてちょっと苦労した。滑るので、リードは怖かっただろうと思った。
泥ルンゼを登り切ると、次のピッチで登るフェースと終了点のあるピナクルに挟まれた空間でエミコリンが迎えてくれた。切り通しから向こうを覗くと、4ピッチ目終了点からと同じ構図だが少し遠くなったテールリッジと一ノ倉沢の雪渓が見えた。
<6ピッチ目 40m エミコリンリード> 大師匠曰く「中央稜で一番クライミングらしいピッチ」。ジメッとした切り通しから離陸すると間もなく、開放的で気持ちの良いフェースになる。柱状節理を右斜め奥に倒したような角張ったセクションは高度感があり、クラックが走っていて面白そうだ。真っ直ぐ登ればコーナークラック、その左右のフェースを登っても良し、どこに向き合って登るかでルートの性格が変わる。
リードのエミコリンは左上の写真で直登を試みた後、慎重に右フェースから登っていった。そしてどんどんロープが伸びてゆき、もうお互いに声でのコミュニケーションはできない。やがて、どうやら登って良さそうな雰囲気になり、フォローの2人はコーナークラックを直登してクライミングを楽しんだ。
途中に複数あったビレイ支点に飛び付かず40mロープを伸ばしたエミコリンは冷静だな、と思った。私だったら、もっと手前でピッチを切ってしまったろう。
<7ピッチ目 40m エミコリンリード> カンテを少し登ってから左の草付ルンゼをゆく。上の方は泥っぽくなり、ルートが右に屈曲する。その手前で、ロープの流れが悪くなるのでエミコリンはピッチを切った。
<8ピッチ目 35m エミコリンリード> 時間が押しているので、このピッチの終わりのテラスを「準・衝立ノ頭」という名のゴールにすることにしてスタート。
上に見えている尖った岩は衝立岩の最上部の辺りなのだろうか。傾斜が緩やかな草付を登ってゆくと、先行パーティとエミコリンの話し声が聞こえてきた。彼等は最終ピッチ(9ピッチ目)で左の岩壁を正面突破しようとして行き詰まり、8ピッチ目終了点のあるテラスまで戻ってきたところだった。
ルートを右に修正し、衝立ノ頭はすぐそこだよ…とサッと登って行った彼等を見たら、自分もと欲が出た。大師匠は、理想は14時だが最終リミットは15時ということで許して下さった。
<9ピッチ目 25m 私リード> 右回りで奥へ進むと突き当たる壁の左方に浅いルンゼがある。傾斜が緩く草がボウボウ生えていて、プロテクションを取る必要もないほど易しいルンゼを登り切ると、もうそこが衝立ノ頭である。
今まで自分達が登っていた衝立に隠されていた北側の展望が開け、越後の山々が未だ早春の彩を見せていた。中央稜の終了点まで到達できたことを実感し、感無量。
嬉しさが溢れて先行パーティの彼等と話を弾ませていると、昨秋の労山救助隊関東ブロック技術交流会で一緒だったということが分かって驚く。なんでも私のヘルメットに見覚えがあったとのこと。奇遇ですねぇ!
茨城県連の彼等は、大師匠の助言を胸に果敢に北稜へと向かって行った。我々は同ルート下降。後続もいないし。登攀9ピッチ目、8ピッチ目はどちらもロープ1本で下降。7ピッチ目からはロープ2本で。
7ピッチ目の下降を終えてロープを引くと、どこかで引っかかっている。上部に屈曲があったので流れが悪いのだ。大師匠が左のルンゼへ移動して角度を変えて引くと、ロープが流れてきた。
6ピッチ目の下降はフェースで楽に行けるかと思いきや、下降ラインには灌木が多くていざロープ回収しようとするとやはり引っかかってしまった。角度を変えただけでは解決せず、大師匠がロープに勢いよく自重をかけて(ちゃんと仮固定して安全に)やっとロープが降りてきた。
5ピッチ目は屈曲した泥ルンゼなので、やはりロープの流れが悪い。私の赤ロープがどうも引っかかりやすいようで、またまた素直に降りてこなかった。やっとこさ降りてきたのを見ると、末端近くに勝手に結び目が出来ている。大師匠に「持ち主に似ている」と言われたんだけど、あたしは素直だぜ?
4ピッチ目はフェースなので今までよりマシ。3ピッチ目と2ピッチ目は繋げて、登攀ルートとは違い烏帽子側には入らずカンテを真っ直ぐ懸垂下降。やっとロープが引っかからず降りてきた。1ピッチ目は障害物がなく、スピードを出して下れた。
どうやら明るい内に国道までは出られそうである。基部に戻って来て、何はともあれクライミングシューズを脱ぐ。マルチピッチなど想定せずに買った私のクラックシューズはタイトなサイズなので、長時間の抑圧に対する復讐の如き勢いで足指に血流が戻ってくる。その痛みたるや!(悶絶)
前編でも述べたが、沢用のラバーソール靴が更にその威力を発揮したのはテールリッジの下り。他の靴とは比較にならないほど滑らない(ただし靴底が薄いので、国道の歩きでは足裏が痛くなる)。
テールリッジから雪渓への懸垂下降は、今年は雪渓が小さいために1回で届かない。2回目の懸垂下降に使う支点のところでロープを引く。青ロープも結び目も降りてきたのに、いやいや冗談でしょ…またあたしの赤ロープの末端が降りて来ないなんて!
重さをかけてもダメ。角度を変えてもダメ。登り返すしかない。加速度的に暗くなってゆく中ヘッデンで、大師匠が青ロープでのクライミングでスタック地点を目指す。ビレイしながら、こんなに暗くて大丈夫かなぁと心配するばかりの私。エミコリンは冷静で、大師匠が中間支点を取れるように「その近くに懸垂支点があった」と的確なアドヴァイス。その後完全に暗くなり私からは見えなかったが、大師匠はその懸垂支点にランニングを取り、右上に見えたフィックスロープにマッシャーを作り、赤ロープに沿うように登って行った。ロープの末端は、窪みに岩屑が溜まっているところで岩屑の1つに絡み付いていた。下から引っ張ったために岩の下に挟み込まれる形になっていたとのこと。
岩屑を少し持ち上げて末端を抜いた後、先ほどランニングを取った懸垂支点までクライムダウンし、セルフビレイを取ってロープを全て引き上げ、丁寧に懸垂下降のセットをして私達のところまで降りてきた大師匠。あぁ、無事に回収できて本当に良かった。暗闇の中でこんな作業をするのを見るのは初めてで、見ているだけで(何の役にも立っていないのに)みぞおちをキリキリと締め付けられるみたいだった。
その後、雪渓まで最後の懸垂下降をし、デポしていたチェーンアイゼンを回収し装着。月も無く暗い中、そろそろと雪渓を降りてゆく。夏道への上がり口はどのへんだろう、確かサンカヨウがいっぱい咲いていた斜面の少し先だったけど。真っ暗なのでそんなの見えっこない。大師匠が岩の形を覚えていらして、ドンピシャで夏道に上がる。嗚呼、バカは無力なり。
雪渓の末端を降りるのが怖そうだとビクビクしていたけど、フィックスロープを使って安全に降りられた。ちなみにサンカヨウは夜も花弁を開きっ放しである。シラネアオイも同様かな、朝と同じ姿で俯いていたけれど。国道に出たのが21時直前。
下山連絡の予定時刻を大幅に過ぎており、会のメンバーに迷惑をかけてしまうことが心苦しいが、電波がこないので致し方なし。トイレのところでやっと電波が入ったので会に下山中であることを伝えた。あとは国道を黙々と歩く。ベースプラザに着いたのは22:10頃。行動時間は実に17時間を超えた。
駐車場で荷物を整理し、車に乗り込んでベースプラザから外へ出たところでヘッデンを照らしながら歩いてくる2人組の姿が目に飛び込んできた。北稜を下降してきた茨城パーティ、心配していたから無事が確認できて良かった…!
アルパインの厳しさを痛感させられた長い1日だった。トラブル対応は全て大師匠任せで、ただ登るだけの自分だった…。この経験を成長に繋げていきたい。貴重な機会を本当にありがとうございました。
また、来よう。
(2024年5月26日実施)